こんにちは。さやかです。
月1コラムも3回目。月に1回であればほど良いペースで書けるかなと思っていましたが、出番が巡ってくるのはあっという間ですね。そろそろ書きはじめなければ…と昨日の雪が嘘のように心地よい日差しを体の右側に感じながらカフェの片隅にいます。
さて朝習慣の撮影ですが、一足先に春を知らせてくれた梅の花や水仙は徐々に盛りを超えほかの植物たちが芽吹きはじめました。


写真を撮りはじめた頃から、道端の植物を眺めたり、桜や紫陽花のつぼみの変化を見守ったりと自然の変化を気にかけていましたが、同じエリアを同じ間隔(1週間)で観察するという試みは初めてのことでより深く変化を感じることができます。
去年の11月からはじめたこの朝習慣も早4ヶ月が経ちました。最近では撮ると決めている木曜日の朝を迎えるのが楽しみになっていますし、このコラムで写真と文章を載せるという強力な動機も加わり良い意味で途絶えられない習慣になっています。
今回のコラムテーマを何にしようかとこの4ヶ月の写真を見返したところ「真上を見上げて撮った写真」「真下(俯瞰)を撮った写真」「ボケを入れた写真」「真正面に撮った写真」と主に4種類の写真が収められていました。この中でも私が特に没入して撮っているのは「真上を見上げて撮った写真」と「ボケを入れた写真」です。



「真上を見上げて撮った写真」
数年前から撮っている「meltyシリーズ」にあたります。自分にとっての適正露出を探りハイキー目に、ピントもカチッと合わせずに色や形の境界線がとろけるようにと曖昧な世界を撮っています。空の青さも飛んじゃっています。



「ボケを入れた写真」
シリーズ名はつけていないですが前ボケを入れた作品。ピント位置をわずかに弄りながら「ここだ!」という瞬間を探っています。この「ここだ!」の観点をほんの少し言語化してみると、被写体の配置バランスと色彩の組み合わせに意識を置くこと、前ボケをやりすぎないことでしょうか。(客観的に、ボケ:非ボケ=2:8ほど)自分が小動物になって世界を見たら、という気持ちで撮っていたこともあります。
前回書いた通り、写真は何をどのように撮るか全てを自分で決めることができ、その自由さが私にとっての魅力なのですが、中でもこの2種類の撮り方は見たままの記録だけではなく、より自分の思う世界観を作ることができます。撮った写真を客観的に見ると色も輪郭も混ざりあっていてなんとも曖昧です。自分で決めるというと「白か黒どちらかに決める」、「多くの選択肢から一つを選ぶ」(=それ以外は選ばない0か1の世界)というイメージですが、「どちらでもないグラデーションの部分」をピントや光量を変えながらふわふわと漂っている時間が楽しいのです。また少しの違いでも別の写真になるので一期一会感もありますね。
そんなことを考えていたら、2023年に開催した個展「接ぐ(はぐ)」のコンセプト文を思い出しました。
無限と有限のはざまで 選び取った欠片たち 色とりどりの布をパッチワークしたときの感覚から 着想した本シリーズ「接ぐ(はぐ)」
写真というものに求めているのは「自由」や「組合せの楽しさ」
そんな華やぐ感情をまっすぐに追っていたが、 いつしかそれだけでは済まなくなっていた
制限のない自由には自ら枠を設け、いわゆる正解を求め、 組合せが生む楽しさには、自分なりの法則を作っていた
自由を求めていたはずが、自由過ぎるという状態に 居心地の悪さを感じてしまっていたようだなかなか全力で振り切ることのできない自分に もどかしさを感じていた
一方で、自分を解放したり、適度に時には過剰に律したり そのはざまで、
もがきながらもなんとか選び取った答えの一つ一つ、 欠片の集まりが、
今の作品であり今の自分自身なのではないか
作品を形にしていく過程で、ようやくそう思えるようにもなってきた
写真というものに求めているのは「自由」や「組合せの楽しさ」
そして「もがき」もひっくるめた今の作品です

接ぐ(はぐ)シリーズ
改めて読むとちょっと苦しそうで心配になる文章ですが….。写真に求めているのは「自由」だけれどそれだけではうまくいかず自由の中にも制約やルールが必要と、今読んでもふむふむと頷ける内容です。写真の世界は自由だと思っていたのに結局ルールが必要なのか…と思ったわけなのですが、前述した2種類の作品撮りの様子を思い返すと、「自由に対してどのような制約やルールを設けるかということも私の自由」なんだなと腹落ちしました。グラデーションの中の漂いかた、例えばこのシリーズは明るめ(+0.6〜)にしよう、前ボケは多すぎず2割くらいが落ち着く、ピント位置はセンターだけでなく左右にずらして変化をさせよう、などといったことが自分で自由に設定した制約やルールなのです。そこに至るまでの過程を「もがき」と表現していましたが最終的には楽しいですし、その制約やルールが結果的には作品の個性、作家らしさにつながるのですね。
4種類の撮り方を今はしていますが、撮り続けているうちに新たな撮り方が加わるかもしれないし種類が絞られていくかもしれない。朝撮影をしながらグラデーションの中を気持ちよく漂い、植物の変化と自由な世界を引き続き楽しんでいきます。
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