こんにちは。さやかです。
飛び石ゴールデンウィークも瞬く間に終わり、さてそろそろねとコラムを書きはじめた今通常のペースに戻りつつあります。
今日は曇り空で気温もほどよくベランダが快適スペースに。こじんまりとしていて静かな場所なのでコラムを書いたり思考を巡らせながら過ごすのに丁度良いのです。ここでは周辺の緑を借景しながら自分でもいくつかの植物を育てています。ぱっと咲いている様子を目にすると元気をもらえるので、緑色が多めな我が家の植物の中から色味の多い3鉢を視界に入りやすい特等席に配置がえしました(1枚目の写真)。これでよしと。


写真左からプチロータスのジョーイ、そしてキク科のビデンスにクマツヅラ科のバーベナ。中でもプチロータスは『ふしぎの国のアリス』に登場するチェシャ猫のしっぽのような佇まいがお気に入り。花言葉は「誘惑する」「優しさ」「穏やか」だそう。ふわふわと風に揺れる花穂はとても愛らしく確かに心惹かれますね。暑さにも強く毎年咲く多年草なので長く楽しめるところも一押しポイント。写真2枚目は逆サイドの緑色エリア。冬の枯れ木状態が嘘のようにわさわさと茂ってきたハゼノキ。G.W.中に植え替えしたので大きくなるといいな。
さて朝習慣の撮影ですが、5月に入ってからジリジリとした強い日差しを感じる日が増えてきました。とはいえ朝は空気がまだ少しひんやりとしているので木陰に入ればさほど暑さを感じません。駅から緑地の入り口まで強めの日差しと人の多さの中歩くこと5分ほど、それまでの暑さと喧騒からスッと別世界に入ったように気温も空気も一変します。撮影をはじめた冬から季節が大きく進んだことでその変化も顕著になってきました。緑に囲まれながら深く深く呼吸をすると、湿気を帯びた森の中にぽつんと1人でいるような感覚になり思わず時間を忘れそうになります。仕事の前なのでそうはいかないんですけれど。そのくらいここでは呼吸から、視界から、肌からとあらゆる器官から自然を吸い込み緑の世界に没入することができます。


葉が折り合う様や、光と影のコントラスト、葉の形状やラインを眺めているのも楽しい。



定点観察中のあじさい 4月末から3週間で少しずつ蕾が膨らんでいます。



さてG.W.明け最初の朝撮影の日。さらさらと水の音が聞こえてきたので少し先に視線をやると、小川に水が流れていました。文字にするとそれはそうだよね、という描写ですがこの緑地の小川では、数ヶ月前に生態系を変えてしまう恐れのある生物が放されるという事態が発生していたため、元の状態に戻すために水が抜かれていたのです。撮影をはじめたころ水面に映り込む木々の緑や空の青、そして差し込む光の揺らめきを眺めることも楽しみの一つだったので、植物やそこに住む生物たちにとってはもちろんのこと、私にとっても待ち望んでいた小川の復活でした。

存在していたものが無くなった時、ああ、無くなってしまったんだと残念に思いますが、いつしかその状態、状況に対して視覚的にも思考的にも慣れていきます。良くも悪くも順応性が働いてくれます。それが今回のように不意にもう一度出会うことができると自分にとっての必要性や重要性を再認識させてくれるのですね。せせらぎを聞いた瞬間の「わあ!」という高まる感情、この気持ちを伝えたい、聞いて欲しいと、緑地を教えてくれた女性に「小川に水が入っていたんですー!」と嬉々と話す自分を客観視しながらそんなことを思いました。
水といえば思い出したことがあります。10代前半頃に「水って不思議な存在」と思ったことがありました。「空気→水→氷」という温度による性質の変化と手との接触で捉えると「触れない→触れるけれど掴めない→掴める」(当時の個人的な解釈)となり、水の「触れるけれど掴めない」って何??と、触れるのに掴もうとしても指の隙間からするするとすり抜けていってしまう感覚が当時「不思議な存在」として認識されていたようです。長い間忘れていましたが、小川との再会をきっかけに過去の自分にもちらっと会えました。
さて、5月の爽やかな空気も次第に湿り気を帯びてきました。年々早まる高温多湿にすでに怯んでいますが、暑い日は木陰やせせらぎを探し、雨降りの日はこの季節ならではの潤いに満ちた景色を楽しんでいきたいと思います。
小川の水面をすいすい移動するアメンボと、パンを食べる私にじわじわと近寄る鳩


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