Sayaka

写真と「水仙」

こんにちは。さやかです。
2回目のコラムを書きはじめた現在、暦の上で春になりました。時折り吹く風は首をすぼめたくなる寒さながらも、からりとした空気に降り注ぐ太陽の温かさや、芽吹きはじめた自然の変化に春の兆しを感じます。春の入口、ちょっとウキウキしますね。

さて、初回コラムが掲載された日は朝からそわそわし、恥ずかしさと少しの高揚感のようなものが入り混じった何とも言えない感情でしたが、コラム見たよ!とメッセージをいただいたり、順々に掲載される他の作家さんのコラムを拝見していく中で「コラムを書き、掲載される」という試みに少しずつ気持ちが追いついてきた気がします。と、言いつつこのコラムが掲載されるときには、またそわそわとしている気も。自分の中にあるものが外の世界に出ること自体が緊張感をはらみますし、言葉の表現をメインに使うことで写真作品よりも真っ直ぐに心の中が見える気がしているからかもしれません。読んでくださった方、感想を伝えてくれた方、心を寄せてくれたみなさんありがとうございました。

前回のコラムでつらつらと書いた朝の撮影習慣ですが、2月に入り緑地の植物たちも次の季節へと向かっています。

ツワブキは終盤

椿はもうじき

一斉に咲きはじめた梅



さて、この季節になると過去の記憶を呼び起こしてくれるのが「水仙」です。水仙は多くの品種があり早ければ11月中旬から、写真の水仙(房咲水仙)は12月〜2月頃が開花時期のようです。すっと伸びた茎、白と黄色と緑のコントラストにひらひらと柔らかな輪郭、そして少し俯いたような姿。潔さと可憐さを併せ持った佇まいが魅力的。毎年同じ場所で咲くというのもいいですよね。



水仙から思い起こされるのは、高校3年の春休みに家族で行った公園での記憶です。
植物を見るのも育てるのも好きな父親の影響もあり、定期的に季節の花を見に出かける機会がありました。桜や紅葉をはじめ、芝桜、カタクリの花、ラベンダー、ルピナスなど花の種類は様々。場所も京都や北海道といった旅先から、関東近郊の公園、デパートの屋上の花屋さんまで様々。このときは、季節的に梅か桜を見に行ったかと思いますが、その記憶は曖昧です。覚えているのは水仙の花を撮った時の情景と心情。園内を歩きながら何となく気になった水仙を撮ったときに「写真を撮るってなんて自由で楽しいの!」と胸が高鳴ったのです。

写真を撮るということは、何をどのように撮るのかをすべて自分で決めることで、例えば被写体との距離感、角度、範囲、配置、明暗、光の差し方など、どうしたらその被写体を魅力的に撮れるか?ということを多くの選択肢から自分で考え自由に選び取り、それを形に残すことができるのです。
それまで写真は、家族や友人とのスナップ写真で思い出の「記録」が中心だったのですが、記録以上の意味をこの時はじめて感じたのだと思います。

当時は今以上に、自分の考えを持ってそれを相手に伝えたり表現をすることにハードルを感じていたのですが、この時「思いのままに自分で決めて表現する」ということを体感したのです。なんて自由で面白い世界なんだろうと。それは植物相手であっても私にとって成功体験の一つになりました。写真の世界にぐっと入っていくのはそこからまた数年先のことですが、この水仙の撮影がいわゆる原体験なのだと思います。

「あっ、何か気になる」と五感のどこかでピンときて視線の端でそれを捉えたり、立ち止まったりシャッターを切るものには、その時の自分に必要なものや、過去の印象的な記憶が埋め込まれているのかもしれませんね。そう思うと朝の撮影時間は、自分と向き合う時間に繋がっているのだと思います。

先日友人と行った梅まつりでミニ水仙の鉢植えを見かけました。この数週間水仙のことを視線と思考で捉え続けていたので、これも何かの縁だと思って家で育てることに。より身近に触れられるようになった水仙の記憶が今の私に必要なものなのかもしれません。

Sayaka

Sayaka

Sayaka さやか東京都出身 ファインダーから覗く小さな世界を、 0から自分で好きなように作りあげることができる そんな、写真の自由さと可能性に魅せられて作品作りをしている ざらっとした質感の、触れたくなる写真や、 パレットで色遊びをするように色彩や光を滲ませた作風が中心写真展 「〇[en]」(2011)、「Quartetto」(2014)、「Reply」(2017)、 「写×書」(2018、2019、2020)、 「青のサーカス」(2022)など 個展 「滲む」(2015)、「間(あわい)」(2019)、「接ぐ(はぐ)」(2023) 写真集「Spice」(2017)、「接ぐ(はぐ)」(2023) Popup Store aoiケーキ店(2024)

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