こんにちは。毎月1週目担当の星野です。前回執筆時には来ていなかった流氷がオホーツク海を埋め尽くしたかと思えば、すでに最高気温がプラス2桁になる日も。コラムを月の初めに書かせていただいていると「もう一ヶ月もたったのか」と時の流れと季節の流れの早さに驚くばかりです。初回の前回は「距離感」と題し、自分と道東との関係性について書かせていただきました。2回目となる今回はその延長で実験的な撮り方をしたことを中心に話を展開していきたいと思います。

本題に入る前に今回の取り組みの前提となる日々の悩みにも少し触れておきたいと思います。「上手な写真とはなにか」と最近よく考えます。専門外で勉強もしたことはないですが広告写真には広告写真の、ウエディング写真にはウエディング写真の評価軸があるはずです。自分のように報道カメラマンをしていると日々の仕事で必要とされる写真、わかりやすくてインパクトがあるものが「いい」という評価軸が一つあります。「おっ」と思わせて記事に引き込む役割も同時に担っているといえるでしょう。私自身も学生時代や入社2年目くらいまでは(今は4年目)その評価軸の中にいました。目の前の被写体をどれだけよく見せられるか。うまく撮れたときの快感は気持ちのいいものです。ただ、ここ最近そのような写真を撮り続けることに対して自問自答するようになりました。一枚でインパクトがあり見た目に面白いものを撮ることにどれほど意味があるのかー。勿論、仕事としてニュースの現場を撮って伝えることに大きな意義はありますし、まだまだ半人前です。引きつづき取り組んでいきます。ただ、写真というものをその一面しか理解せず、今いる世界のなかでだけで撮れてしまう写真を量産していくことに違和感を感じていることもまた事実なのです。

前回「距離感」として心理的な距離感を題材にしたことにヒントを得て、2月の良く晴れた休日、仕事やプライベートでよく走る120キロの道のりを「5キロ」という等間隔で撮影してみました。写真を再考する最初のきっかけとして、写真を撮ることに制約を課してみたのです。今まで、報道写真でも趣味の撮影でも共通していた撮影スタイル「撮りたい(撮らなければならない)ものが撮れる場所や時間に撮影地に出向いて、自分の感覚で切り取る」という、被写体の一番いいところ(ニュース要素が強いところ)をいわば強調してみせる撮り方から物理的に離れてみる仕掛けです。自分の意志とは離れた場所で、レンズの焦点距離も35ミリ換算で約50ミリ(撮影機材はラージフォーマットカメラで63ミリ固定)と目の前の風景を写すことしかできないようにしました。そのうえで、車を降りてその道路から見える一番気になった部分を切り取るという自分の視点は残すというルールで北見の自宅から斜里町ウトロまでこの時期ならではの流氷を求めて旅に出かけました。このことで道東の風景の変化や地理的特徴、そして自分の中の写真的に世界を見るクセを客観視してみたかったのです。




北見市から郊外へ。
5キロという数字に大きな意味はないですが、この取り組みを思いついたのは出張先の秋田県鹿角市で熱い温泉につかっている時でした。4日間毎日通った国道282号線で約5キロの間隔で次々に現れてくる町や集落に安心感や近さを感じたことは理由の一つです。実際に道東で5キロごとに走って写真を撮っていくと、北見の町を抜けると人の営みが薄くなりました。その上、町部分が5キロ間隔に当てはまらない小さな町もあり、より「何もない大地」という印象になりました。これは、町ごとに必ず撮影したり、気になったものを撮り集めていく手法だと感じえない結果になりました。(このことが今回の道中の真の姿なのか、という問いはここでは一度おいておきましょう)まっすぐな道路や雪化粧した畑、斜里岳が迫ってきたかと思えば流氷の海が続く、という普段の「変化に物足りない」運転感覚がそのまま写真に写ったように感じます。この感想は自分の感覚であり、見る人によって「広く町がない道が続き、ふと大自然が出てくる走りたい道」と思われるかもしれません。今回の取り組みではそれがむしろ人によって異なる感想自体が正解であり、写真が持つ不確か性を感じられるといえるでしょう。見ていただけた方はコメント欄に書き込んでくださるとありがたいです。



郊外を走り美幌町へ。
中でも面白かったのは、普段は気も留めない場所をカメラという機械を手に見つめなおす体験でした。流氷という強い被写体までの通り道、普段は素通りの場所を写真で写すと無意識から意識へと変わり、120キロの道のりの中で普段は流れゆく車窓にあるものが静止して画像に定着していく。これまで「えいっ」といわば捻じ曲げてでも好きなもの自分らしく撮るのが写真だ、と疑いすらしなかった自分の感覚を少しずつ変化させていくのに十分な経験の一つになりうる、というのがやってみた感想です。 もちろん、24枚を組みで見せるには精査やストーリーが紡げていない点も自覚しています。今回は1日での撮りおろしという実験的な撮影でしたが、写真の機微に少し触れることができた気がします。もっと多角的に写真と向き合わなければ、と思う次第です。



美幌の町でフォトチャンスはなくまた郊外へ。道中の木々に意識が向いて。
写真というのは大きく3つの役割があります。「現実そっくりの静止した世界の姿」、「過去の時間をいま見せてくれる奇跡」、「人間の目とは異なる機械的な視覚」です。分かっているようで理解していない3つの特徴。今回は5キロという制約も手伝って自分の中では機械的な視覚と現実そっくりの静止した世界の姿という特徴を改めて認知しました。写真というメディアを自由に扱って趣味に仕事に充実できるようにこれからも鍛錬は続きます。(むしろスタートラインに立ったくらいです)



広く変化の乏しい畑の中を進む。



小清水の町も通り過ぎる。インフラ設備が目に付く。



斜里本町。うららかな暖かい日差しと斜里岳。



流氷の道へ。



知床のイメージ。
今回もお読みいただきありがとうございました。
次回以降もお時間あるときにお付き合いただければ幸いです。
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