みなさんこんにちは。星野雄飛です。早いものでもう今年も折り返しが近いですね。年明けがついこの間だった気がします。北見では先月28日に昨年よりも1か月ほど早く、北見を拠点に活動するカーリングチーム「ロコ・ソラーレ」が来年のミラノ・コルティナ五輪に向けて始動しました。そんな今日この頃、私も週に1回以上のペースでカーリング場に通っております。というのも、会社の同僚で作ったチームで男女混合4人制日本一?!を目指すべく活動しているのです。試合は3週間後。次のコラムの時には結果が分かっていますね。フォーススキップ(指示を出し、最後に投げる人)からセカンドにポジションを変えたので、課題のスイープ(掃く役割)の上達のためカーリング三昧な日々を過ごしています。

氷上から話を戻しましょう。これまで4回、道東でコラムを書いてきましたが今回は道東を飛び出してみようと思います。5月上旬に一週間ほど北陸~東北を旅してきました。長期で国内を旅するのは大学4年生が最後なので4年ぶりです。旅のスタイルは大学時代と同じく車中泊で細かな目的地はその場で決めていきました。最も遠い目的地は能登半島。旅で見つけたものや旅を通して感じた自分の変化がありのままの自分だと思うので今回綴ってみようと思います。 旅を3つに分けて振り返ります。
・風景を撮り歩くということ
東北や北陸には自分の好きな風景がたくさんあります。時期的に新緑がきれいな時期でしたし、ブナや砂浜に湧き出る湧水などこれまで訪れてきた大好きな風景です。正直、道東の風景よりも好みです。残雪もありバラエティに富んでいて撮影をするには最高の時期。もちろん、今回も多く立ち寄りました。




例えば、山形県の釜磯の湧水群。鳥海山の湧き水が砂浜や海中から湧き出しているジオスポットです。形や場所をを変えながら出現するドームがかわいらしく夢中でシャッターを切ってしまいます。ボカしたりブラシたり、いろいろなことをしてみますがそれは所詮小手先のテクでしかありません。好きなはずの風景を見るのではなく「撮る」という行為を通すとこれまでのような高揚感が生まれなくなっているのを強く感じました。好きなものを撮っているのに、撮った先の道筋が見えない真っ暗な感覚。風景を見たまま、あるいはテクニックを駆使してある部分を強調して切り取る行為は「よく見せる」「カッコよく見せる」というエゴの塊でしかないのかもしれません。エゴではなく、自分自身の思考回路に撮った写真を載せていくことをしていきたい。頭ではわかっていても実践できないもどかしさがつきまとう旅路でした。



・被災地を訪れること
「鳥居が落ちてしまったよ」穴水町の海岸線に小さな岬のようにせり出した場所があります。実は6年前に能登半島に来た時も車を止めて撮った記憶があるほど自分の目に留まる場所です。田んぼに囲まれた岬の先にある森に囲まれた神社のたたずまいがやさしい風景で心に沁みます。先の能登半島地震で鳥居崩落の被害を受けたと代掻きをしていた農家さんが教えてくれました。ここでは地区ごとに小さな神社があるといい、「復興予算で直してほしいけど、、、大元の穴水大宮は鳥居自体がなくなっちゃったから(まだまだ先だな)」と遠い目で森を見つめていました。最後に「何もないけどゆっくりしていって」と旅人の私に声をかけてトラクターに乗っていく姿に心打たれました。目の前の、自分が耕している田んぼの風景に誇りがないといえない言葉だと思います。1日でも長く守ってほしいと思った光景でした。






被災状況は穴水町から能登町や輪島市など北に向かうにつれひどく、傾いたままの電柱や「危険」と書かれた張り紙が貼ってあり解体を待つ家屋、まさに解体作業が行われている家屋も多く見られました。能登町の食堂の店主が「能登に来て、今の能登を見てほしい」と話してくれたのが印象的でした。いつどこで起こるか分からない災害。だからこそ、被害を受けてしまった以上、能登に来てもらうことが一人一人の災害への心構えにつながると言うのです。お店はコロナをようやく乗り越えて、これから、という時の地震だったようですが、前を向いてお客さんを受け入れている姿がただただカッコよく見えました。




報道の人間としてではなく、一人の人間として自分の目で見て人の話を聞くことは大事だと思います。報道では伝えられないことがそこにはあります。普段仕事で携わっているからこそより感じるのかもしれません。情報としての被災地と場所としての被災地は違います。だからこそ見て回りたい。何もできないけれど、と毎回思う自分に能登町の食堂のオーナーの言葉は沁みるものがありました。
・優しい人工の自然
この旅で一番心が躍ったのは、富山県の山奥で大きな栃の木に出会ったときです。国道沿いに車を止め、細く急な階段と坂道を登っいていきます。コケが生えていて歩きにくいものの舗装された道で集落の気配も感じられます。ほんの数分登るとそこに栃の大木が姿を現しました。これまで見た中でも新緑の生命力、鮮明さは群を抜いていました。心が躍った理由はそれだけではありません。針葉樹に囲まれた中、栃の木の大木だけが一本残っているのです。代々切らずに栃の実という恵みも受け取りながら暮らしていたのでしょう。近くには空き家になっていた家もありましたが人が住んでいる家もありました。人によって作られた風景。人の心と自然の力が交差する風景に特に惹かれます。




写真多めで振り返ってきましたが、車で旅をするとどうしてもスタンプラリー的に好きな、興味のあることを拾い集めていくようなスタイルになり、写真にもその雰囲気が出ているようです。これまで楽しい=撮影、というベクトルでシャッターを切ってきましたがそれでは「楽しい」「キレイ」「発見」というモノ以上の世界はなかなか見られないと感じました。知らないことを知って楽しむだけならそれでいいのですが、それではカメラを片手に旅する意味がないのではないかと思います。旅は大好きです。それをいかに表現につなげていくのか。その難しさと問いかけを今回の旅からもらえた気がします。いつまでも大学生気分じゃダメですね。
今回もお読みいただきありがとうございました。
次回は道東に戻って書いていきますので引き続きよろしくお願いします!
この記事へのコメントはありません。