【6/25-7/3】鹿野貴司写真展「煩悩の欠片を燃やして菩提の山へ走れ」

「走るお坊さん」として知られる身延山武井坊・小松祐嗣住職とは、かれこれ十数年の交流がある。彼は 家族との別離を機に、さまざまな挑戦を続けてきた。その挑戦をカメラで追い続けてきたが、2021年6月 には日蓮聖人生誕800年の節目としてその足跡を辿る旅に出た。生誕の地・千葉県鴨川市の誕生寺から、 その御霊が眠り、また自身が暮らす身延山まで、19の寺社を参詣しながら375kmを走り抜けた。新型コロ ナウイルスで社会が大きな不安に包まれる中、自分は僧侶として誰が救えるのか、ランナーとして何がで きるのか、自ら問いかけるような5日間だった。その挑戦や日頃の姿を通して、彼の僧侶としての生きざまを伝える。

【写真展概要】
▼タイトル:煩悩の欠片を燃やして菩提の山へ走れ
▼会期:2022年6月25日(土)~7月3日(日)
▼時間:10:00-19:00(最終日17:00閉場)
▼入場料:無料
▼展示作家名:鹿野貴司
▼イベント:6/26(日)15~17時
GLOCAL CAFE(ギャラリーから徒歩1分)にて、映画「巡礼走〜その走りは誰を救うのか」の上映と、小松さんと鹿野さんのトークを行う予定です。詳細は改めてお知らせします。

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「煩悩の欠片を燃やして菩提の山へ走れ」

亡き祖父が毎年のようにお参りしていた日蓮宗の総本山、身延山久遠寺と仕事で関わるようになって、もう15年になる。たまに身延山の魅力はなんですか?と聞かれるのだが、山深い地に伽藍や堂宇が立ち並ぶ静謐さと、明るく快活なお坊さんたちという、好対照なふたつを挙げている。

その魅力をまさに象徴しているのが、身延山武井坊・三十六世住職、小松祐嗣上人だ。1200mの標高差を自らの足で登るしかない七面山敬慎院に勤務。朝から夕方までかけて真剣に山を登る信者たちを見て、その苦労や思いを理解しようと自らも山を走るようになった。僕が彼と出会ったのもその頃だ。

走る楽しさを知ったことで2013年、この地を舞台にしたトレイルランニングレース「身延山七面山修行走」や、急峻な石段を駆け上る「菩提梯クライムラン」を立ち上げた。生まれ育った身延山を知ってもらうのが狙いだったが、想像以上の規模に発展し、まもなく750年を迎える身延山の歴史に新しい風を吹き込んだ。

それにとどまらず、彼は自分自身との戦いに挑み始めた。歴史ある武井坊の継承を目前に、妻や子供たちと別離。その精神的苦痛を肉体的苦痛で乗り越えようと考えた。走ったことがない距離を走り、身体を追い込むことが自己を肯定する唯一の方法だったという。2017年には身延山から東京・池上本門寺という、日蓮聖人の最期の旅路と同じルートを走った。距離はちょうど100マイル(160km)。翌年には鎌倉から身延山へ入山した日蓮聖人になぞらえ、鎌倉から100マイルを走って自身の入寺(住職就任)を迎えた。この後も100マイルの挑戦を繰り返し、身延山の境内だけを30時間以上かけて走ったこともある。

挑戦を重ねると彼の心は満たされ、人の心にも風を送ることくらいはできると考えた。そしてコロナ禍の2021年6月。日蓮聖人生誕800年という節目に、生誕の地である千葉県・誕生寺から、御霊の眠る山梨県・身延山まで375kmを5日間で駆け抜けた。僕も一部始終を追いかけたが、彼の心の何かが汗で洗い流され、あるいは燃えて次の一歩に進む様子がファインダー越しにも感じとれた。ゴールに達したときの顔は、人に支えられてきた感謝の念からか、温かさと優しさに満ちあふれていた。

走り続けた先にある、次の挑戦はいったい何だろうか。

鹿野貴司

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【プロフィール】
小松祐嗣 Komatsu Yuji
昭和50(1975)年、山梨県身延町生まれ。
立正大学仏教学部を卒業し、僧侶の道に。日蓮宗布教研修所で学んだ後、七面山敬慎院や身延山奥之院思親閣に勤務。平成29(2017)年より、武田信玄公の祈願所として建立された武井坊の第36代住職を務める。

鹿野貴司 Shikano Takashi
昭和49(1974年)年、東京都葛飾区生まれ、多摩美術大学映像コース卒業。
さまざまな職業を経て、フリーランスの写真家に。広告や雑誌の撮影を手掛けるかたわら、精力的にドキュメンタリーなどの作品を発表。写真集に『甦る五重塔 身延山久遠寺』『感應の霊峰 七面山』『山梨県早川町 日本一小さな町の写真館』(いずれも平凡社)。公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。